生命(いのち)は波のように。「絵本 なみのいちにち」

 

わたしの仕事はカウンセラーです。

色々な人の人生の、ほんのひと時ですが、ご一緒に時間を過ごさせていただいて、その方のエネルギーが再び流れ出す時が来るのを一緒に待たせていただいています。

 

エネルギーが流れ出すといっても、どこかスイッチを押せば、勝手に流れだすものではありません。自動販売機のように、お金を入れてボタンを押すことで欲しいものが手に入るわけではないのです。

 

どちらかというと、この絵本「なみのいちにち」のように、人生というのは、時の流れの中で、引いては押し寄せる波みたいなものではないのかな、と思うようになりました。

 

子供の頃は、引いては寄せる波に浸りながら、思いっきり遊ぶ日々がすべてなのでしょうね。波に足をつけてジャブジャブと安心感に包まれながら、たわむれるひと時は開放感にあふれています。子供たちの日々は、笑ったり、泣いたり、怒ったり、甘えてみたり、と、感情の波のままに過ぎてゆきます。

 

大きくなると、その波に浸って遊ぶというよりも広大な海の広さに、憧れたり、ロマンを感じてたり、また溺れたらどうしようと恐怖も感じるようになります。しかし同時に、サーフボードやボートに乗って、その波にもまれながらも自分をコントロールする技術も身に付けていくようになります。

 

大人になると、海の向こうには何があるのだろうと期待と不安を持ちながら、実際に世界へ船出し、荒波を乗り越えながら、新しく自分の生きる陸地を目指して旅に出ます。サーフィンのように一人で遊ぶのではなく、時には大きな船でたくさんの人たちと自分たちの陸地を求めて旅を続けていくのでしょう。

 

そして老年になると、人生というものは波のように、引いては寄せるものだ、数学のグラフのように直線的に進むものではない、ということにいつか気づき、たとえ上手く言っても、調子に乗ってはいけない、たとえ上手くいかなくても、我慢して続けることで潮目は変わっていくかもしれない、という知恵を手に入れるのでしょう。

 

そしてさらに「生命(いのち)」というものも、誕生から青年へ、青年から大人へ、というエネルギーに満ちた波ばかりではなく、いつか「死」を迎える引き波の時も来るのでしょう。ただしそれは個人のことであって、人間そのものや世界そのものは一度引き波があったとしても再び新たな寄せ波が来るのでしょう。

 

この絵本は波の一日と人の一生を重ねながら、やさしい語り口であなたに語り掛けてくれることでしょう。

そして本の帯にはこういう文章が載せられていました。

 

「ここは、みんながやってきて  いつか、かえっていくところ」

 

わたしはカウンセラーとして、日々、訪れる方々の波の音を聞かせてもらっています。